姿勢美人デザイナー 車谷 英紀とは

はじめまして! あなたのパートナーくるまたにです。
私が治療家になろうと思ったのは、高校時代にさかのぼります。

小学校、中学校、高校、大学と野球に打ち込み、楽しくもつらい学生生活を送ったものの、常にケガとの闘いで、 休みたいけど休めない、でも痛い、だけど野球をしたい、という複雑な気持ちで練習に打ち込む日々でした。

ちょっと報告
第62回選抜甲子園大会に出場し、惜しくも宮城県の東北高校に一回戦で敗退、奈良智弁学園の二番二塁手でヒット一本を記録。

そんな中、ハリにも通いました。マッサージにも通いました。整体にも通いました。

でも、どの治療もその場しのぎで、3日もたてば、いつもと同じ状態・・・。 そんな感じで過ごしたのを覚えています。

高校卒業時にハリの学校に通うことも考えましたが、大学に進学することになりました。

大学時代に、授業の中で、高齢化社会について学び、卒業論文でもそのことについてレポートしながら、 高齢化社会の老人医療は私がやるしかない・・・という、なんとも勘違いしながらも、平成7年、老人ホームでの老人介護の仕事を始める。

しかし、その当時、寝たきり老人の流れ作業の仕事に疑問を感じ、もっと自分にできることはないものかと考えて結果、 個人的にサポートし寝たきりにならないための施術を受け持つことができるということで、手技療法士を目指し、学校に通い始める。

約1年間通学し、その後治療の現場での勉強を始める。半年間勉強をしたあと、私にとっての大きな転機が訪れる。

それは、東京の多摩市にあるスポーツ障害のカリスマ的存在の治療院で、さらに修行を続ける。

アパートを借り、治療院とアパートの往復の毎日で、食事といえば、 ソーセージと卵焼きで1年間貧しい生活を送る。

その後、ようやく1999年4月念願の治療院を開業する。

院名は「あなたの悩みをクリアーにしませんか?」という思いを伝えたくて「クリアーカイロプラクティック」と名づけました。

当初は、一般的な施術に集中していましたが、今では、少し時間の余裕もでき、スポーツ障害にも力を入れ、 施術からリハビリ、トレーニングと総合的に、選手のスポーツ活動をサポートしています。

スポーツ障害の施術は、全ての症状にもつながるという思わぬ結果に助けられ、 現在の繁盛院になることができました。感謝!

家族構成は妻千亜紀、長女奈々(平成12年生まれ)、長男幹太(平成14年生まれ)、 二女千寿(平成17年生まれ)の5人家族。